
あらひろこ「KULTA」制作記
あらひろこさんのご家族から、アルバム制作の依頼を受けたのは、2023年の秋、形見分けの洋服をいただきにご自宅へ伺った時だった。
あらさんとはじめて演奏をご一緒したのは、2005年。アイリッシュハープ木村林太郎君とのユニットRivendellでの共演だった。あらさんの、叙情感あるオリジナルが印象に残っている。以降折に触れ、ご一緒いただいた。あらさんの音楽が大好きで…そして、私もあらさんと同じ病気になってからは、不安や心配も織り交ぜながら、年に一度は必ず、と願った。あらさんの演奏は会うごとに、自由になっていた。そうした十余年。あらさんは遠くへ行ってしまった。
ご家族からお預かりした音源は、2021年の12月と翌年2月の計3日間、札幌の芸森スタジオで録音された(注1)。北国の森の緑と、雪に反射する白い光、暖炉の暖かさある空間にて(注2)。
ファイルは、impro(即興) としてナンバリングされた19曲、soloとして5曲、ヴァイオリン/ヴィオラ奏者いまいまみさんとのデュオが3曲。あらさん自身でOKテイクを選別済み。曲のタイトルは不明。
まず近しい方々にこのレコーディングについて聞き込みをした。結果、いくつかの曲タイトル(オリジナルに加え、Värttinäのカバーもあった)、ゲストを入れたいと考えていたことが判明した。次いで、あらさんの音と向き合う作業。家で、電車で、海で、色々な場所で体に染みこませるように、ひたすら聴いた。あらさんはまず思うまま弾いたのだろう。同じモチーフを何テイクも録ったり、カンテレを持ち替えたり(注3)、様々な取り組みが見られる(注4)。
二週間聴き続けた私の結論は、「この音源単体でアルバムにすることは難しい」だった。デュオを想定してなのか、隙間を多くあけた曲が散見し、いくつかの即興には迷いがあるように思えた。病気による不調や手のしびれもあったと聞く(注5)。勿論あらさんの発想のきらめきや、何物にも代えがたい優しさ美しさ、リリシズムは確個としてある。しかし最高のコンディションではない。
あらさんを大切に思う方々の中には、全てをひっくるめてありのままの音楽を残すべきだ、と考える方もいらっしゃるだろう。殊更「遺作アルバム」ならば。しかし、私は思う。「この録音をしている時、あらさんは音楽家として連続する次の未来を考えていた」と。録音をしている時のあらさんの凜としたまなざし、食事の時の楽しそうな笑顔。雪の森に覆われたスタジオで生まれる即興。「冬のアルバムになりそう」という言葉(注6)。私は、あらさんがやりたかった(かもしれない)ことを、出来る限り実現しようと決めた。音楽家あらさんの、新しい出発のアルバムだ。
まずimproテイクの中から、単体で曲としての完成度が高いものを選ぶ。それらはあらさんのsolo improvisationとしてアルバムに収録する。次に、単体では音楽的に弱く感じたもの、もしくはデュオを想定して弾いているであろうテイクを選ぶ。さらにはその曲にふさわしい相手を選定する。共演者は、あらさんのimproに自由に音を重ね、曲を完成させる。曲名は共演者が付けるものとする。そんなルールを決めた。そうしてできあがったのが以下である。
1.あらひろこ・嵯峨治彦「蘖」
モンゴルの楽器・馬頭琴奏者の嵯峨さん。デュオRAUMAとして、あらさんと唯一無二の世界を作り、フィンランドで数々の賞を受賞した。このアルバムはどうしてもRAUMAからはじめたかった。蘖は「ひこばえ」と読む。早春、樹木の切り株から出る若芽のこと。本曲のみ、嵯峨さん自ら、3曲のインプロを繋ぎ編集し一曲としている。あらさんを熟知した嵯峨さんだからこそ出来る手法。
2.あらひろこ「-Early spring-improvisation」
2曲目は、嵯峨さんの音に応えるような、あらさんのソロを入れたいと思った。タイトルは藤野による(注7)。藤野の判断で繰り返し部分を一部カットした。
3.あらひろこ・いまいまみ・藤野由佳「Silent Winter」
ヴィオラいまいさんとのデュオ。タイトルもあらさんによる。私の判断で、アコーディオンを加えた。
4,雪の上の足跡
ヴァイオリンいまいさんとのデュオ。タイトルもあらさんによる。
「KULTA」の前作、ライブアルバム「ランラン」にも収録されている。
5.あらひろこ「-Light snowfall-improvisation」
タイトルは藤野による。意味は淡雪。エンジニア星さんにお願いし、終盤、細かな雪が幾重にも降りかかるようなエフェクトをかけていただいた。
6.あらひろこ「-Textile-improvisation」
タイトルは藤野による。テキスタイルは織物や布地。あらさんの演奏を経糸と横糸織りなす織物のようと感じ、また手芸が好きだったあらさんを思い出して。
7.あらひろこ・豊川容子「銀の滴降る降るまわりに」
豊川さんは、ご自身のルーツである、アイヌのウポポ(歌)と躍りを取り入れたボーカリスト。あらさんは豊川さんとの繋がりをとても大切にしていた。歌詞は、知里幸恵「アイヌ神謡集」による。本曲は「ランラン」にも収録されている。豊川さんの最初の提出テイクは、遠慮と迷いが感じられたので一度差し戻し、あらためてやってみたいことを全てやっていただいた。
8.あらひろこ・吉田野乃子「Glasswing Butterfly」
サックス奏者・吉田さんの演奏があらさんは大好きで、自宅でもCDをよく掛けていたという。Glasswing Butterflyは、羽が透明な蝶。吉田さんは、変わった生き物をテーマに曲を書いており、この蝶のイメージがあらさんとの共作にぴったりとのこと。本曲ではパーカッションも演奏している。
9.あらひろこ・藤野由佳「息吹」
即興テイクを聴いていた時、ふとこの曲に音を重ねたいと思った。冷たい空気の中に、ゆるやかに吹き込んでくる春の息吹。
10.あらひろこ・いまいまみ・藤野由佳「Balloon in the sky」
ヴァイオリンいまいさんとのデュオ。タイトルもあらさんによる。
私の判断でアコーディオンを加えた。
11.あらひろこ・星直樹「記憶の森」
ギタリスト星さんの演奏をあらさんは大好きで、エンジニアとしても信頼を置いていた。本曲の元テイクは、improではなくsoloとして録音されたもの。聴いた時にすぐ、これに音を重ねるのは星さんだと思った。
12.あらひろこ・豊川容子「つないで」
豊川さんによるメロディ作曲および作詞。日本語でのうたに加え、アイヌの言葉で語られる。
13.あらひろこ・ティモ アラコティラ「Taivasta kohti」
ティモさんは、フィンランドのピアニスト/ハーモニウム奏者。ハーモニウムは、オルガンのこと。あらさんは、以前よりオルガンを弾く夢を持ち、知人から購入する算段をしていた(注8)。ティモさんはあらさんと共演し親交深く、逝去の折に「Hiroko」という曲を捧げた。形を変えてあらさんの夢を叶えたいと思った。「Taivasta kohti」はフィンランド語。「天への道」という意味。
ミックスは、星直樹さん。ギタリストとしても素晴らしい星さんは、アコースティックなあたたかみあるサウンドを大切に編集くださった。また、私のイメージや要望も細かに聞き入れ、的確に反映くださった。あらさんとの共演も長く、音も人柄もよく知っていることが、アルバムの音色をより深く豊かにしていると思う。マスタリングは、壷井彰久さん。ヴァイオリニストでもある壷井さんは、私が長年信頼する音楽仲間であり、あらさんと何度か共演もした。私と星さんでカバーしきれない技術的な問題を全て解決してくださった。
「KULTA」は、フィンランド語で「ゴールド」、古い詩では、恋人や大事な想い人をさす言葉(注9)。2022年5月、あらさんが大切な友人ミュージシャンたちと共演した、日替わりコンサート企画のタイトルであった。その精神の延長にあるのが、アルバム「KULTA」である。
アルバム「KULTA」において、共演者たちが提出した楽曲やタイトルには、おのずと春を待ちわびるような気配があった。あらさんは「冬のアルバム」を想定していたが、繋がれた共演者が春を描いたことで、「あらさんからの春の招待状」というアルバムコンセプトが浮かんだ。
デザイン、アートワークはトタン舎さん。長年、あらさんのフライヤーやアルバム、グッズのデザインを担当してきた。トタン舎さんは、あらさんが大好きだった、北海道に早春に芽吹くSpring ephemeral(春のはかなきもの)と呼ばれる野草を描き起こした。そして印刷に相応しい紙を都内中探しまわった。ジャケット表面タイトル「KULTA」は、野草のイラストを組み合わせた文字となっている(注10)。ジャケットを開くと、内側にはエゾエンゴサクという可憐な花咲く野草が並び、光を当てると白く浮かび上がる。
ジャケットは、招待状の体裁をとり、便箋形。ライナーは、1枚の紙に1曲を割り当て、野草一種を配す。スタッフクレジット含め計15枚、その薄く繊細な紙片を、トタン舎さん自ら裁断し、ジャケットにおさめた。あらさんとKULTAたちの思い、北国の早春の空気をつめこんだ「手紙」である。
長くなったが、「KULTA」をめぐる話は以上である。何故普段遠く離れた私がアルバムを制作することになったのか、それは縁とタイミングであったというしかない。あらさんを失い、感傷的な思いを抱えながら、音楽人としては冷静に、ある意味冷酷に、あらさんの音楽に向かい合った。リリース後の反応はあまり聞こえてこないが、私というフィルターを通してのあらさんのアルバムに賛否両論あるのは無論のことである。今回使用した芸森スタジオの音源以外にも、録音したままになっている音源がかなりあるという。今後新たにあらさんのかけがえのない作品が世に出て行くことを願っている。
KULTA制作に関し、あらためて関係者の皆様にお礼申し上げる。特にトタン舎さんとは、喜びも悲しみも共有し、果てしない作業を乗り越え、まさに二人三脚であった。KULTAを実体化できたのは彼女のおかげである。
注1 このレコーディングは、クラウドファンディング「芸森スタジオ&CloudLodge存続支援プロジェクト」のリターンを利用してのものであった。
注2 いまいまみさんの回想による。
注3 11弦カンテレ、39弦コンサートカンテレを用いた。
注4 エンジニアはカンテレの録音に慣れておらず試行錯誤もあったようだ。良い響きを求めて都度録る場所を変えたり、エンジニアの提案でヴィンテージマイクを使ったという。
注5 レコーディングに同行した、トタン舎さんの証言による。
注6 いまいまみさんの回想による。
注7 インプロにあえてタイトルを付けたのは、アルバムの流れに位置付けたい、という意味もあるが、一番の理由は後々曲に区別をつけるためである。
注8 トタン舎さんの証言による。
注9 2022年「KULTA」イベントのフライヤーによる。
注10 この草花文字は、2022年「KULTA」イベントのメインビジュアルであった。