「新曲」フィンランドレコーディングへの道-その4-

そんな色々なやりとりを一月からはじめて、選曲が完了したのが三月の終わり頃。四月に入ると、Timoさんが、メロディとコードの書かれたマスター譜や、我々のデュオでやるためにピアノで試し弾きした音源を、少しずつ仕上げては送ってくださる。私は共有のDropboxに、音源と譜面を入れる。

さて今回のための新曲はどうしよう―。日々の忙しさに、何も浮かばないまま四月も終わり、五月。そこに大きな、とてもとても悲しいニュースが入った。カンテレ奏者あらひろこさんの訃報である。
あらさんとは二十年、北海道と東京という遠距離の中、折に触れ演奏をご一緒いただいた。前のブログにも書いたけれど、あらさんとお揃いのカンテレを買った位、あらさんと彼女の弾くカンテレが大好きだった。ここ数年闘病されているのは勿論知っていた。前年は4回演奏をご一緒したのだけれど、お目にかかるたびに、少しずつやつれてゆく様子を見て、たまらなく不安に思っていた。でもまたきっと少し休めば復活されるだろう…きっと…と。このフィンランド行きのこともご相談していて、色々聞きたいこともあったのだけど、お返事のご負担をかけてはいけないなと連絡を控えていた矢先。

そしてあらさんのお通夜の朝。Timoさんから「Hiroko」という曲の音源と譜面が届く。
「今朝書いたんだ。これを僕たちのCDに入れないか」と。
Timoさんもまたあらさんと長年の友人であり、共に出演した「ノルディックウーマン」公演も終えたばかり。Timoさんの奏でるピアノのはじまりのフレーズは、そのままあらさんがカンテレで弾きそうなフレーズだった。悲しくて、でも白く淡い光のような明るさのある静かなピアノに、涙が止まらなかった。
悲しみを瞬時にそのまま音に。作曲家の業だな、と思った。
「Hiroko」は勿論、あらさんのご家族のもとへも届けられた。

仕事を休むことが出来ず、あらさんとのお別れにゆけなかった私は、しばらく家にかえっては、ぼーっとして泣くばかりだった。でも何かをしなければと思って、泣きながら曲を書き始めた。出来上がった曲が「Valkoinen kukka」、フィンランド語で「白い花」。タイトルはあらさんが大好きだったフィンランドの言葉にしたかった。あらさんは、猪突猛進な強い部分もある一方で、白い一輪の花のように凛とした美しいひとだった。あらさんとの思い出を楽しく懐かしみながら、なんでこんな早くに逝ってしまったの、という気持ちを込めた。Timoさんの曲とは全然違うけれど、やっぱり、悲しさの中に明るさのある曲になった。

私たちのアルバムに収録する新曲は、こうして、どちらもあらさんを想って作った曲となった。